講座のあゆみ

10周年

日本大学松戸歯学部創立十周年記念誌より

放射線学講座教授(初代) 尾澤 光久

昭和46年5月20日、日本大学松戸歯科大学の名称で創立・開学され、それと同時に放射線学教室も発足することとなった。当時の教室人員は教授・尾澤光久、助教授・山野博可、助手・笹原広重、北原喜一であった。当時は開学されたといっても低学年のみであり、直接には講義等もなく教室内の整備などを行いつつ主として付属病院での外来患者の対策に従事していた。

時の付属病院は現在のようには全科が充実しておらず特に初診患者にあっての対応はなきような状態であったので当教室メンバーが交替で初診室に行き新患記録作成を行って来た。また同時に付属病院の放射線部をも整備しなければならず上記教室員のほかに臨床放射線技師として河田昌晴、久保田三平を迎え日常診療に対応してきた。放射線部としての機材の状況は、歯科用X線装置6台、オルソパントモ1台、天上走行高圧X線撮影装置1式、セファロX線撮影装置1式、顎関節規格X線撮影装置1台であり、他に歯科用X線フィルム専用の自動現像装置2台、大型フィルム用自動現像装置1台を暗室に設置した。この暗室設備は当時の他歯科大学に比較して最新のものであった。しかし、これらの自動現像装置は管理上にも不充分な点が多く、今では考えられないトラブルの発生があり、しばしば診療を中断し冷や汗をかいたことが懐かしく想い出されるものである。

このような困難な時期を逐次こえながらもやがて来る臨床実習への対策等を考慮しながら充実を図ってきつつあった。その一つに来院患者の口腔内状態を十分に把握する上でオルソパントモをもっての総覧X線写真を用いることを提案し実行されることになった。この計画は当時は非常にユニークな考えとして注目され今後の診療計画や患者の理解などに喜ばれ今日でも実施されているものである。

その後、教室員も助手として亀澤隆、池島厚ら、また非常勤講師として大塚博壽を迎え一段と内部充実を図りつつあった。しかし臨床教育の強化等を加える意味で診断学の独立を考慮する必要から山野助教授、笹原助手の転出となり(昭和48年)その後任として従来から希望していた鈴木宏巳を歯学部から助教授として迎えることとなった。以上のメンバーで第1回生の臨床実習にはいるときの主力となった。

その後、助手として当学第1回卒業生から岩崎弘、鈴木守らが以降、柴 寧、小野寺長人、大木忠明ら副手として関谷恵子を迎え、大学院生として石塚理一郎、富山文信、研究員として北原喜一、鶴岡泰志、石松明らを、ついで研究生として渡辺明、渡辺時啓、水間真一郎、非常勤医員として亀澤隆らの入室となる陣容となった。

研究

研究発足時にあっては、主なる研究資料として放射線線量計1台のみと一時は途方にくれたものであったが、手はじめに前述のごとく最新の自動現像装置を設置したことから、現像処理に対する問題を目標にしたものであった。このことは当時、今後の現像処理に対しての方針を決めかねていた関係機関から注目されたものでもあった。このような研究の揺籃期をすぎて当時開発初期であったオルソパントモによる総覧撮影像の成立について本格的な実験を進めることとなった。特に従来から用いられている口内法撮影法によるものとの比較について問題提起をも考えながら数数の基礎実験および検討を行い市販されている機種の借用やら購入を含めて狭い放射線部が足場のない状態になった。このような状態の時期に第17回日本歯科放射線学会総会が尾澤を学会長として当学で開催されることとなり(昭和51年)連日準備など多忙な日が続いたものである。

その後も、この一連の研究は現在でも続けられオルソパントモにおける画像の成立やらその機構的問題など検討している。なお昭和52年には開学以来、希望していた多軌道断層X線装置が設置され、以来年を増すごとに写真濃度計など小物ながら研究設備品の整備やらX線装置の新期交換を含む購入など行いつつ下記に示すような研究テーマを挙げ研究を進め将来の増設など夢みて現在に至っている。

  1. 歯顎領域における総覧撮影についての技術的開発と、その画像情報分析
  2. 超音波断層装置の歯顎領域への応用
  3. 電算機システムの応用によるX線画像情報分析
  4. X線写真による歯科疾患と全身疾患との関連性の検討
  5. その他
業績
  • 原著14編
  • 学会発表数21件
  • 各種研究補助金9件
日本大学松戸歯学部 放射線学講座

20周年

日本大学松戸歯学部創立二十周年記念誌より

放射線学講座教授(初代) 尾澤 光久

本学の創設20周年を迎えるのにあたり、歩みを共に過ごした教室であるが、創設期の10年と比較し本学の卒業生をも迎え、かつ第一線に活動し、その内容も一段と充実した構成となった。ここに、その後の10年の教室員の構成を振り返ってみることにしよう。

即ち、教授・尾澤光久、助教授・鈴木宏巳を中心とし、当時助手の池島 厚が昭和62年歯学博士号を授与され、同時に専任講師に昇格、なお、その間に本学大学院第一回卒業の石塚理一郎が助手を経て専任講師となるも健康を害し退職を見る。

また、開校以来、助手として勤務していた北原喜一、亀澤 隆、浅海行雄らは医院開業等により退職し、本学第一回生の岩崎 弘・鈴木 守、鶴岡泰志(神奈川歯大卒)らが、ついでに柴 寧、小野寺長人、大木忠明らを助手とし、副手として関谷恵子を迎え、さらに粱島伸幸、前田典男、西野郁生、山崎英隆、堀越匡樹らが助手として入室、学生教育、臨床に従事し教室の充実をはかった。

その後、教室員の都合により新陳代謝が生じ、現在の教室員構成となり、大学院修了者より森下一夫が助手を経て専任扱講師に、また半田和子が専任助手として入室した。また、西野郁生(歯学博士授与)、内藤康雄、金田 隆、名尾良幸らも専任助手として教室の第一線にて奮闘している。

非常勤講師としては、大塚博寿は開学以来より、また北原喜一は助手を経て昭和63年より勤務し、また、非常勤医員としては、富山文信、吉野勝久が勤務し、それぞれが後輩のために種々の助言をおこなっている。

大学院生として石塚理一郎、富山文信、吉野勝久、森下一夫、半田和子、長谷川裕晃、信川文秀、小澤 薫、田中 諭らが専攻、石塚理一郎(前述)、富山文信、吉野勝久、森下一夫、半田和子、長谷川裕晃らがそれぞれの初期の目的を達成し歯学博士の授与を受けており、信川文秀、小澤 薫、田中 諭らがその後に続いて努力研鑽を重ねている。

研究員として、北原喜一、鶴岡泰志、大木忠明、本多伊知郎、小野寺長人、粱島信幸らが入室し、このうち北原喜一が歯学博士の授与を受け以後各自にあっては、自己の診療の合間をみて、各自のテーマと取り組んでいる。

研究生としては岩崎 弘ら以下21名が在室し、教室の資料をもとに個々の勉学に励んでいる。

また、付属歯科病院の放射線部における機材の設備状況は、歯科X線装置6台、パノラマX線装置4台、全身撮影用X線装置1式、2方向X線頭部規格撮影装置1式、顎関節規格X線装置1台、移動用Ⅱ装置1式、多軌道断層X線装置1式、回診用X線装置1台、超音波断層装置1式があり、他に歯科用X線写真フィルム専用自動現像装置2台、大型フィルム専用自動現像装置1台を設置している。

なお、これらの撮影・管理に対しては、開院以来よりの放射線技師河田昌晴をはじめ、松崎伸一、塚越英雄、猪又みゆきらと暗室・フィルム管理に従事している酒巻祐子および山本信子らと医局員が一体となって日常の診療を効果的に行っている。

研究

開学10年を過ぎ、教室内の整備が一段落をしたこともあり、従来より研究を進めてきた現像処理やパノラマ画像の評価に続いて、電算機システムの導入による歯顎領域への応用、歯顎領域の医用画像での三次元表示および顎疾患におけるMRI情報の応用等を主テーマとして研究を進めてきた(国際超音波学会、北米放射線学会にて発表)。また、近年では種々の医用画像の取得に伴う機器が開発され、歯領域での応用も今後の課題となるものも多くあり、これに対応すべき研究も現在進めつつある。

以下にそれぞれの研究課題の一端を記す。

  1. 電算機システムによる情報分析
    • (1) 二次元フーリエ変換による下顎骨歯槽部の骨梁像の定量的評価
    • (2) 歯顎領域におけるファントームの作成と評価
  2. 超音波断層によるもの
    • (1) 口腔内異物を想定しての実験と臨床
    • (2) 超音波断層画像の二植化処理による定量的評価
  3. 医用画像の三次元化
    • (1) 歯顎領域におけるX線 Subtraction法の応用
    • (2) 超音波画像の三次元構成と臨床への応用
  4. 新しい医用画像への対応
    • (1) 顎疾患のX線CT画像による有用性
    • (2) 顎領域疾患におけるMRIの臨床的意義
    • (3) 口腔領域における内視鏡とX線画像の併用効果
  5. 臨床画像への検討
    • (1) 含歯性嚢胞と含歯性エナメル上皮種との鑑別
    • (2) 顎嚢胞のX線学的計量診断法
    • (3) 顎炎におけるX線画像とシンチグラムの併用検査の効用
    • (4) 口腔領域における腫脹リンパ節の超音波断層診断法
業績
  • 原著74編
  • 学会発表数86件
  • 各種研究補助金18件
日本大学松戸歯学部 放射線学講座

50周年

日本大学松戸歯学部50周年史より

放射線学講座教授(第3代) 金田 隆

講座の歩み

1971年5月20日日本大学松戸歯科大学の開学と同時に初代の尾澤光久教授(1971年5月~1993年3月在任:2021年4月27日逝去)のもと放射線学講座は発足された。その後第2代の鈴木宏巳教授(1994年4月~1998年3月在任:2007年12月1日逝去)、第3代の金田隆教授(1999年3月~)の現在に至っている。
2008年11月3日には永年の教育および研究の功労が認められ、初代主任教授の故・尾澤光久名誉教授は瑞宝中綬章を受章されている。

教育

学部教育は、長年にわたり社会に貢献する多数の歯科医師を輩出した。適切な画像検査や読影に優れ、放射線を適正に取扱える歯科医師養成に重点をおいて教育してきた。実習は基礎実習、臨床での患者実習において実践的な画像検査を実施できる歯科医師を養成した。基礎実習は画像読影、できるだけ患者や術者にも被ばくをさける技術修得、コンピュータを用いたデジタル画像処理、CTやMRIの実機を用いた撮像や読影実習を長年にわたり実施している。卒後教育として、本講座は広告できる専門医である歯科放射線専門医の認定施設でもある。

研究

CTやMRIを中心とした顎顔面領域疾患の画像診断やコンピュータ画像処理に関する研究および著書を多数輩出している。学内では講座枠にとどまらず理工学部や医学部らとの学部を超えた学際的な共同研究(例:日本大学の新しい放射光LEBRA-PXRの高度利用に関する基盤研究等)も継続している。

学外の共同研究は国内では、東京大学医学部(1990年~MRIの研究)、筑波大学医学部(2004年~MRIの研究)、国立がん研究センター東病院(2004年~口腔がんの画像診断の研究)、岐阜大学医学部(2008年~コンピュータを用いた画像AIに関する研究)との共同研究、および国外の共同研究ではHarvard大学医学部Massachusetts Eye and Ear Infirmary 放射線科Curtin教授(1997年~CT、MRIの研究)、Boston大学医学部放射線科Sakai教授(2007年~CT、MRIの研究、Texture研究)との研究および留学も交えた人的交流を継続してきた。

その成果として、1998年第84回北米放射線学会にてRadioGraphics賞、1999年第12回国際顎顔面放射線学会にてPoster Award賞、2004年第90回北米放射線学会、2010年第96回北米放射線学会、2013年第99回北米放射線学会、2019年および2020年第105回、第106回北米放射線学会にてCertificate of Merit賞、2016年第102回北米放射線学会にてCum Laude賞を受賞している。
特許は、光を用いた被ばくのない「う蝕診断装置」を開発(特許第6550653号特許庁)う蝕診断装置(発明者:金田隆)がある。

臨床

従来からCT、MRIを有する国内有数の歯科大学付属病院の放射線科であった。2006年4月の新病院開設にあたり、国内初の歯科大学付属病院の電子カルテ導入のため、口内法エックス線検査も含むすべての画像検査はデジタル化された。これによりフィルムレスの環境にやさしい画像処理や診療体制および患者被ばく軽減に多大な貢献をしている。CTはシークエンス検討により被ばく量の低減化に成功している。特に小児へのCT検査の適正化と被曝低減化を臨床で実践している。また、CTやMRI検査は地域歯科開業医から年間多数の外部依頼がある国内有数の医療施設となっており、地域に欠かせざる診療科になっている。

終わりに

放射線学講座は毎年春に恒例講演会および歓送迎会を開催し、講演や研究発表および新旧医局員の情報交流を絶え間なく継続している。海外も含めた、これら絶え間ない人的な交流が、本講座を支え、過去から現在および未来に向けての本講座の財産である。

日本大学松戸歯学部 放射線学講座

放射線学講座歴代教授

初代 尾澤 光久 教授
初代尾澤 光久 教授
(1971年~1993年)
第2代 鈴木 宏巳 教授
第2代鈴木 宏巳 教授
(1994年~1998年)

第3代 金田 隆 教授
第3代金田 隆 教授
(1999年~)

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